今僕がこのコラムを書かせて頂いたり、自分に関係のないボウルゲームで新聞にコメントしたり、一流のチームでコーチしたりと、フットボール界で過ごして居られるのもそもそもある人のおかげなのです。その人は以前にもこのコラムでご紹介したことのある、僕が中学1年生(1981年/昭和56年)の時に出会った先生です。大阪体育大学でフットボールをプレーされていた板橋秀行先生。僕が中学に入学した時に大学を出て新任だったので同じ「1年生同士」だった方です。
当時でもすでにクラシックカーの仲間入りをしていた360ccのユニークなホンダの屋根にはサーフボードを積み、運転席と助手席には大学時代のユニフォームが着せられている、とても学校の先生が通勤に使っているようには見えない車に乗っておられました。
小学生の時からフットボールがやりたくて仕方なかった僕はこの先生に絡みまくってフットボールの事を少しでも習おうと一生懸命でした。初めて会うマトモなフットボール経験者ですから当然と言えば当然でしょう。自分はNFLに就職してスターになりたい。そうなる為なら何でもするから教えてくれ。でも先生の答えは「お前じゃムリや」でした。
でもとにかく色々頑張っていく為にはこの先生と友達になるべきだと察して、気に入ってもらおうと自分の得意技を色々と話します。基礎スキーを経てこれから本格的に競技スキーを始めようと思っている、水球のジュニアオリンピックでは全国優勝した、当然泳ぐのは上手い、スケボーも出来る、オートバイも好きだ、もちろんフットボールでキャッチボールも出来る、短距離もマラソンも速い、とフットボールをしていた大人が少しでも関心を持ってくれるのではないだろうか?な話題で気を引こうとしました。
すると先生はスキーもする、オートバイにも乗る、と共通の話題があったのです。それにプラス水球が出来る事に強く関心を示してくれました。話をすれば奥行きも幅もあり自分の世界から考えると豊富な人生経験をお持ちで、いつもワクワクすることばかりを話してくれました。
小学生時代は学校じゃロクな先生に出会えなかったので、あまりにも新鮮で、受験勉強は大変だったけど頑張って良かった。私立の学校ってのは先生までステキなんだと感激していました。ただ、この先高校3年までの6年間通いましたがまあこの板橋先生だけが特別だった事は言うまでもありません。
中学1年生の秋、体育祭が終わってグランドでキャンプファイヤーが燃やされる中、高校生主体で「後夜祭」と言うものが行われていました。そこで高校生のお兄さんお姉さんらに囃し立てられ壇上に乗せられた板橋先生。ギターを渡され「何か唄え!」と言われています。気の毒になーと眺めていたら「ほな唄たるわ」と言って演奏を始め見事に英語の歌詞で歌い上げたのです。僕は真下から見上げて聞いていました。この人凄いな!と感激したものです。
ある時は「おいタモン!ログハウス作るから今度の土日ウチ泊まりに来て手伝え!」と来ました。ログハウスの意味もわかりませんが、お家に泊めてもらえるならフットボールの話もたくさん出来るだろうと意気揚々と出かけました。ログハウスって家って意味か!丸太小屋か!え!この材料切って重ねて行くん!?何じゃそら!まあ中学生じゃそうなります。作業が大変でフットボールの話どころじゃありませんでした。そのログハウスは現在でも整備&改装されてしっかり遊び場として健在しているそうです。
中学3年では僕のクラスで副担任となった板橋先生ですが親を交えた三者面談で呼ばれた時「ウチの家にも遊びに来ている板橋先生と学校でわざわざ何を話すん!?」と母親は笑っていましたが、何度目かの三者面談で「ホンマの事言いますね。タモンは成績も素行も悪いので高校の先生達から著しく嫌われています。転校することをお勧めします。フットボールが出来る可能性のある進学先を検討しましょう」なんて事にもなりましたが、フットボールへの愛が残っていれば大学から始めればいいか。と転校は辞めてそのまま上の高校に進学しました。
高校ではスポーツをしませんでしたが、16歳になってオートバイの免許を取ってからは板橋先生と一緒にどこかに走りに行ったりと相変わらず友達付き合いしていました。お互いに「さすがにNFLはもう無理やろ」と感じていて僕のフットボールへの夢は無かったことにしていた時期でした。でも当時夢中になっていたオートバイの扱い方や整備や改造の仕方も教えてもらいました。学校はもちろん、世間でも高校生のオートバイ接近を厳しく禁止する「三ない運動」全盛の時代でしたからやはり異常な先生と言えます。
高3(18歳)になり車の免許を取りに教習所へ行き始めると「おい、俺今度BMW買うから今の車を下取り出すし、その金額でエエんやったら売ったるぞ」と。カッコイイフォルクスワーゲンゴルフです。もちろん欲しい僕は父に頼んでお金を用意してもらい毎月コツコツ3万円ずつ返済していました。先生はBMWを買って颯爽と出勤していましたが「BMWの方が遅いわ!最悪や!」とよくグチを言っていました。生徒に100万円の車を売るとはやはり異常な先生と言えます。
結婚式では仲人を引き受けてもらったり、NFLに行くチャンスが生まれた時も一際喜んでくれました。ライスボウルで優勝した時も報告に行きました。僕の成功を喜んでくれると同時に強烈にヤキモチも焼いていました。「なんでお前ばっかり有名なんねん。ムカつくわ!」と冗談を言って祝福してくれていました。
と、まあ先生のオモシロエピソードは35年以上の付き合いですので思い出せばいくらでも出てきますが、今回はこれぐらいにしておきます。
フットボールに於いても中学と高校の6年間はもちろん、卒業して僕が大学で始めたときにもしょっちゅう会って色々教えてもらいました。人として親として大切な事、選手として大切な事、運動家として大切な事、今でも守っている先生からの教えは山ほどあります。そして今指導している選手達にその「教え」を現代風にアレンジして紹介し続けています。
残念ながら僕ほどに根性を決めて「この人のいう事ならどんなに変だと感じても絶対に正しいハズだからとにかく全速全力でぶつかってやろう!」という選手が多くないので、板橋先生の孫弟子達にはまだ「板橋流」が浸透していませんが、「イタハシ流タモン式」の教えでこれからも一流の選手をドンドンと育てて行きます。
そして先生がどうしても立ちたかった「甲子園ボウルのサイドライン」にもいつかは連れて行きます。だから楽しみに待っといてくださいね。
6月3日の早朝に数年間の闘病生活を終えて永眠した12歳上の親友であり、人生とフットボールの師匠。誰よりもパワフルでタフガイだった板橋先生。ノジマ相模原ライズの練習開始直前に訃報が入り、試合前最後の大切な練習で集中力を欠いたコーチ多聞はまだまだタフガイになれておりませんでした。ご迷惑をお掛けしたライズの皆さんにはココで謝罪させて頂きます。
今はパールボウルトーナメント真っ最中です。ランニングバックの皆んなが活躍できれば良いのですが!
