多聞コラム15oct2013_vol,10「ゴリゴリ多聞、自伝を語る1」小学生たもん

プレイヤーを引退して何年も経った僕のような者がこれほど立派な場所でコラムなど書かせて頂いておりますがそもそも無名弱小大学の出身で何故ここまで偉そうに立ち振る舞うのか?を年代別で数回に分けて自慢と苦労を交えて書かせて頂こうと思います。これから何かの目標に向かって頑張る方の参考になればとても嬉しいです。

小学4年生くらい(注1)の時に「フットボール鷹(注2)」を読んでフットボールのカッコ良さに感激していたらアメリカのニュースを流すテレビでは毛皮を着たスターQB(注3)がオープンカーで葉巻をくわえていました。しかし我が国のヤキュウスター(注4)はまだまだ野暮ったく、ヤキュウが巧い事以外では何も感じなかった記憶があります。この日米スポーツスターを比較した少年時代の僕はフットボールが圧倒的にカッコ良くみえました。そしてたまたまタイミング良く近所に住むアメリカ好きなお兄ちゃん(注5)が「タモン!今からアメリカンフットボールを買いに行くからついて来い!」なんて言って近所のスポーツ店を巡りまくるけどラグビーボールしか置いて無くて苦労したトコロから始まります。お兄ちゃんはメーカーに注文して何日後かに入手しキャッチボール三昧の日々。そうなれば自分も欲しくなり親にねだって淀屋橋の美津野でライン無しのプロ用ボールを買ってもらい、当時は全面芝生フサフサの西宮球技場の試合会場にボールを持って行き隅っこで選手気分になりながらキャッチボールを楽しむ週末。社会人チーム近畿コカコーラのゲームは観客にコーラを無料でくれるので欠かさず観戦に行った事を思い出します。大学生選手がとてつもないオッサンに見えたのを思い出します。小学生は入場無料だったのも良い作戦でしたね。

1:1970年代終盤ヒデキのYMCAが流行していた頃

2:陽気で小柄な日本人が気合いと根性と運でNFLのスターになる世界最高のフットボールバイブル。これを100回読んでからフットボールをプレーする事が成功への近道。

3:テリーブラッドショウが活躍する時代

4:4番ファーストオウッ、の時代

5:5歳上のアコギ氏。生活圏に誰が居るかで大きく変わる人生。

スポーツではスキーと水泳。スキーでは基礎スキー(注6)はもちろん、回転と大回転(注7)で地方レースなどに出場していました。しかしアレは過保護な親がガンガン子供を試合会場に連れ回し用具代や整備代に大金を使わねば(注8)中々勝てない事がわかってきたのでソコソコでやってました。2歳からやっていた水泳(注9)では濱寺水練学校で水球チームに入団。チームメイト(注10)に恵まれ、ジュニアオリンピックで全国優勝の経験があります。水球の練習は結構キツかった憶えがあります。水球の基本は競泳と立ち泳ぎ。そして片手でのボール(注11)さばき。ボールを確保して移動する事をサッカーと同じく「ドリブル」と呼びますが、ボールをコントロールしておかねばならないので顔を上げたままクロールします。速く泳がねばならないのに水の抵抗を受けやすい顔を前に上げた(注12)姿勢。これがしんどい。フットボールで言うとボールを4つ持って走るようなもんかな。コーチの気合いが入ってる日は、この「顔上げダッシュ」を100100本という時もありました。計算の速い僕はすぐにわかるのですが、合計10キロですね。1万メートル。50mプールを100往復。120秒で1往復のインターバルですから3時間以上。これを小学生が大会で勝ちたいが為に文句も言わず黙々とやり切るんです。ここにイマドキもユトリも関係ないでしょう。目的を達成する為には考えられる事を全てやってもまだ足りない。という「勝者の理屈初級編」を濱寺水練学校で叩き込まれたワケですね。プロのクォーターバックを目指す僕にはボールを投げる競技で練習が超過酷な水球との出会いはとても幸運でした。水泳にも水球にも体力とガッツを大いに養われたと思います。年齢差、体格差、能力差、という様々な不公平の中で泣こうが落ち込もうが関係なく「金メダル」という目標に向かう厳しさの中に居れた事はラッキーでした。

6:カタチの美しさを競う点数競技

7:赤と青の旗を抜ける速さを競う競技

8:用具や環境を整える力もスポーツに於ける重要な才能のひとつであり不公平は世の常

9:泣き散らかす2歳の僕を心を鬼にしてスイミングスクールに連れて行き続けた母のおかげで強い身体に育ちました

10:中心選手らはその後日本代表や海外プロ選手になるなどの活躍

11:水球はゴーリー以外片手しか使えません。ボールキャッチも片手がルールなのでワンハンドキャッチで目立ちたいウレシガリは水球の練習をしましょう。練習方法教えますよ。

12:オリンピックでは顔を前に上げて泳ぐ自由形の選手居ません。という事は遅いから。

こうなってくるとNFLへの就職は当然の目標としても、まずはやはりフットボールの名門、関学中学(注13)への進学を熱望しはじめます。とりあえずアメリカ文化の基本(注14)であるキリスト教の教会に通わせてもらい、受験勉強も猛烈に始めさせてもらいます。古川明の少年少女アメリカンフットボールスクールにも通い、楽しくフットボールを習いますが親に無理矢理やらされてる感じの奴ばっかりで張り切ってるのが僕だけだったのでつまらなかったのが印象的でした。

13:小学生の僕にとって関学の何から何まで全てがスマートでカッコ良く見えたのは言う迄もありません。

14:アメリカ文化に慣れ親しまねば到底ダメな世界なのだろうと薄々感付いていた僕の鋭さは特筆物ですがまさかこれほどまで重要な事だとわかった時にはもう遅かった・・・。

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