多聞コラム28apr2017_vol,165 レジャーでフットボールするな

僕はレジャーではなく、勝ちたいが為にフットボールやその他のスポーツをして来ましたし、もちろんレジャーも楽しみました。レジャーにも大会や試合があり「勝ち」や「負け」「目標達成」「途中棄権」など悲喜交々な結果も味わえます。

数万人が参加する市民マラソン大会も優勝を目指して参加する人はほんの一握りだと思います。僕はフットボール選手を引退してから沖縄県で開催される結構大規模なジェットスキー(水上バイク)の耐久レース大会に出たことがありました。練習もするにはしますがまあ遊び100%なノリで真剣味は全く足りません。大会前日もお酒を飲んで食べたいものを食べていました。もちろん優勝など当然出来ません(それどころかリタイヤしたチームを除けばビリ)でしたが悔しさはありません。2時間をトラブル無しで無事完走出来た事でとりあえず満足です。レース中にユニフォームを着た他チームの選手がビーチで喫煙するシーンもあり「レジャー感満載」でした。また来年度を目指すにしてもそれほどの練習計画をたてるわけでもなく遊んでいる中で自然に上手くなる程度しか自分に期待していません。

また仲間と楽しむボウリングなどもそうです。卓球やダーツも酒場にあったりしてとりあえず勝ち負けを楽しめます。このようなスポーツをレジャーと定義して今回のテーマである「努力とは?」を僕の考え方を書いてみたいと思います。

僕が真剣にフットボールに取り組み出したのはバブル時代の真っ只中、今から約30年前の1980年代終わり頃です。この頃はどんなスポーツ選手でも30歳を超えていると「超ベテラン」などと言われたものです。「ウエイトトレーニング」どころか「ストレッチ」が最先端な運動として君臨していました。ウエイトトレーニングは至極マニアックな運動で、テレビに出てくるボディビルダーのようなカラダを目指す特殊な競技として位置付けられていました。筋肉を付けると動きが悪くなる。という理屈もまかり通っていました。重くなるほどの筋肉がそう簡単につくわけもないですし、あながち間違ってもないです。まあそういう時代でした。

その時代の指導者らはそれ以前、つまり1970年代、または1960年代に得た経験や知識で練習を運営します。無償でフットボールのコーチをする彼らが最新の栄養学や運動の理論などを学び続ける事は至難の技ですし、作戦の一部を海外のテレビ放送から輸入するのが関の山でした。といった具合に現代のスポーツ界を取り巻く環境とは随分違います。現在ではネットで情報をキャッチすることが常識となり、英語などの外国語を理解できるとものすごく膨大な情報量を得られる事になります。当時は「ライバルより多く知っている」だけでアドバンテージになり、選手として数段上に行く事ができましたが現代は違いますもんね。

膨大な情報量の中から自分の成長や能力維持(または怪我からの復帰)にフィットするものを全員が選べます。極端な例を挙げれば、体力アップの為に真夏の炎天下で水も飲まずうさぎ跳びを何時間もやるしかなかったのが、現代ではエアコンの効いたジムで優れた栄養を摂取しつつ最新の理論に基づいた器具などを利用して鍛える事も可能です。20年、30年前に未来を見据え、時代の最先端な情報を収集し実践していた僅かな人たちはとても優位に立つ事が出来ました。

我々アメリカンフットボール関係者はチームに属さねば「選手」とは言えませんので必ずどこかのチームに所属しておく必要があります。稀に無所属で「日本代表」に選ばれる選手も存在しますがそれは一時的なものです。そしてその所属チームではフットボールの基本練習や応用練習、対戦相手に合わせた各フォーメーションからのセットプレーを反復は当然のことながら、走り込みやウェイトトレーニングなどもチームのトレーナーやコーチが管理するのが一般的です。もちろん食事や栄養補助食品について、飲酒や喫煙、怪我や病気、アンチドーピングの勉強や生活サイクルまでアマチュアと言えど「アスリート」として大切に扱われています。つまり現代ではこれが当たり前。ココがスタートラインになっているのです。

キチンと決め事を守れない「アウトロー」や「不良」な選手は淘汰され居場所がなくなります。ちょっとやそっとの才能(体格含む)と経験があれども一瞬で後進に抜かれてしまいます。誰もが真似できない特殊技能を何年も継続している選手は必然的に毎夜の暴飲暴食泥酔など出来ませんし若い頃より多くのトレーニングを積まねば怪我をしてしまいます。これこそ敵が11人居る格闘技「フットボール」の特徴です。ルールにも大怪我を防ぐものしか罰則の規定がありません。どんな才能があれども細心の注意を払って居なければスグにリーグの水準から落ちこぼれてしまいます。

そんな中で勝ち残るための努力とは一体どうすればいいのか?何をすればいいのか?を僕も選手を育成するコーチとして日々考えていますが答えは抽象的なものになってしまいとても困っています。

①飲酒喫煙しない

②食事の回数や量、そして栄養の質、節制に節制を継続する事

③チーム練習には100%参加する

④チーム練習の無い日は自主トレする

⑤身体や栄養、運動、作戦などの猛勉強をする

⑥チームメートやコーチらとコミュニケーションを深くとる

という昔なら超のつく優等生な生き方が現代では至って普通。外出するときには服を着る。というくらい当たり前になっています。僕が今問題だと感じていることは「一生懸命マジメに頑張っているからコレでじゅうぶんなのだ」と決めてしまう事です。本気で誰かと競い合う事のないレジャーならまだしも、標準的な努力を重ねても標準的な結果(順位)しか得られないのは当然です。しかし当の本人は至って真面目に「やるべきことを一生懸命やっている」のでもう一段上の努力にまで目が行きません。学生なら学業(や学費を稼ぐためのアルバイト)、社会人なら仕事や家族との時間以外に出来る事は僅かでしょう。その少ない時間と機会で「果たして今やっている事でじゅうぶんなのか?」を考える余裕や発想が無い事にはトップに立つ事は出来ません。たまたま強いチームに所属し、少しの貢献をする為に日々の鍛錬をしているワケでは無いはずです。自身がしっかりと勝利に貢献し「君が居なけりゃ勝てなかった」と全ての人に思われるのが選手冥利に尽きるのでは無いでしょうか。そういう高いところに目標を設定している人だからこそ周りもしっかりと応援してくれるのです。「常識を超えた努力」の継続には周りからも全力の応援が必要です。義務だけをこなしていても「えげつない選手」に変身は出来ません。運動センスや勝負勘が優れていても賢くシタタカにその競技でナンバーワンの努力量をこなさねばダメなのだと本当に理解して実行することが大切です。

その為には今やっている努力を別の視点や考え方を元に見直し、時には人からのアドバイスを受け、努力の時間と濃さをもっと徹底的に「厚く深く」して行かねばならないと思います。

結果、勝ちたければ昔も今も「みんなよりたくさんがんばること」が必要だ。という事ですね。「賢く」「タフで」「強く」「速く」「巧く」の全てでトップを目指すにはどうすべきか。まずは「賢く」ないとダメですね。

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