多聞コラム28feb2017_vol,157「ゴリゴリ多聞、自伝を語る66」チャレンジャーズ1

 藤田さんとの接見後、スグに電話があり「今週末に練習の見学に来ませんか」となり、早速西宮市のグランドに行きました。この頃は現在の尼崎市住友金属内グランドではなく、西宮スタジアムにほど近い場所のアサヒビール工場内の駐車場に盛土をして急造された土のグランドでした。ミーティングルームは無くウェイトルームの隅っこを使い小さなブラウン管テレビを皆んなで囲って何度も何度も再録画して擦り切れる寸前のVHSテープを巻き戻しながら練習のビデオを見ていました。ライスボウル制覇を目指すチームの設備としてはかなり劣悪です。その点、ファイニーズの施設は充実したファイニーズ専用の天然芝フィールドで、クラブハウスやシャワールーム、ロッカー用倉庫や駐車場も完備のいわゆる「完璧な設備」でした。ナイター照明もあったので練習のない平日の夜に個人でグランドを走ることも可能でした。がしかし!!アサヒ飲料のグランドやその他設備はアサヒビールから土日だけ間借りしているだけなので平日にトレーニングしたりグランドを走ったりも出来ません。プロを経験してズに乗っている僕としてはとても衝撃的なことでした。

選手たちはとても若く29歳だった僕は、藤田HCよりも年上で最年長のDB斎木さん(大阪体育大学OB)の次に年長者だったのです。既婚者もごく僅かで、子供の居る選手も殆ど居りませんでした。大学を出たばかりの人たちばかりの若い若いチームだったのです。

学生時代にライスボウルで最優秀選手に選ばれNFLヨーロッパに行った阿部拓朗、ライスボウルに勝利と敗北の両方を体験した者、甲子園ボウルで敗れた者、甲子園を目指したが叶わなかった者、2部3部や地方リーグ出身者、色んなレベルの色んなジャンルの若者たちが「アサヒ飲料チャレンジャーズを舐めている他のチームに一泡吹かせたれ!」という暗黙の団結力で一心不乱に練習しています。

当時のキャプテンは「機動戦士:内田良平」。京都大学OBらしい無骨でクレバーでミーンなプレースタイル。そして圧倒的な熱意で未成熟な社会人チームを引っ張っていました。後に医者となりドクターとしてチャレンジャーズやその他のチームに帰ってきた異例の人です。

僕の顔見せも終わり、アサヒ飲料側も僕のことが好きで無かった人を説得できたようで、無事に迎え入れて貰うことが出来ました。浪人したのはたった3日間というとてつもない幸運でした。

翌週からは防具や練習着を持って、練習に参加しました。カミソリのような小石ばかりの恐ろしい土グランドで練習をするのは数年ぶりです。タックル有りで練習するのでコケると肘をひどく擦りむいて血だらけです。スクリメージプレー毎に砂埃が舞い立ちコンタクトレンズ派には大変な時間だったのを思い出します。

当時はクラブ間の移籍はまだまだメジャーではなく、同地区内で前年度のファイナル6出場チームからNFLヨーロッパ経験者が放出されるというのは前代未聞。タッチダウン誌でも「タモン電撃移籍」という記事にしてもらったほどです。

前年度(1997)のアサヒビール飲料ワイルドジョー時代から、前監督である山崎氏(関西学院大学OB)がコツコツと守備選手を集めまくっておられたので層は厚くハイクオリティ。前出の「内田良平」「阿部拓朗」に加え「上田拓」「東前圭」ら強い京都大学の主軸を担った猛者がウジャウジャ在籍していました。「上田拓」はこの後チャレンジャーズで守備コーディネーターを長年勤め、のちにIBMや母校京大などでコーチ。「東前圭」は現在立命館宇治高校で監督として実績を残しています。この「上田+東前」のLBコンビは貧弱な体躯ながら業界トップのインテリジェンスと古き良きギャングスターズらしい「PLAY HARD」をやり切る典型でした。そして何と言っても守備の要はキツいタックルがそのままニックネームとなった「串刺しシンゾー」です。関西学院大学OBのご存知「山田晋三(現IBM/日本協会)」です。当時はまだ若く細い体ではありましたがリーグを代表する選手であり、前週のコラムに書いた「フィンランド戦」にも日本代表として参加していました。

「ドリームディフェンス」という異名を取るほどの人材の宝庫。しかし攻撃がイマイチかみ合わず前年度はdiv2との入れ替え戦に出場。ココに「K/P/QBの和製スラッシュ田中重光(京都大OB)が藤田HCと共に入部。ライスボウルを2度経験したQBです。そして前年度は他チームでのホケツながらNFLを体験した僕が加入。チーム内には京都大学時代に藤田コーチがシゴいてきた京都大学OBも沢山居ます。これはもしかしたら強くなるんちゃうの!!と僕はもちろん、日本のフットボールファンの多くが期待したに違いありません!!

つづく

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