多聞コラム31oct2014_vol,64「ゴリゴリ多聞、自伝を語る27」ワールドリーグトライアウト初受験

 コンタクトレンズを装備し、目から得る情報量が圧倒的に増えた96年のシーズンが終わり、いよいよ昨年度は開催されることすら知らなかった「ワールドリーグ(後のNFLヨーロッパ)トライアウト」の申し込みが始まりました。

確か、ランニングバック。サンスターファイニーズ。中村多聞。27歳。などと書きました。

数日後、NFLのロゴマークの入ったバインダーに挟まれた要項が送られてきました。NFLから郵便物が届くなんて事が自分の身に起こるなど、夢のようです。試験に受かればアメリカでスターになれるかもしれないチャンスがいよいよ目の前に転がってきたのです。

試験内容はザックリと書かれているだけで、具体的にどのような事をするのかは「身体測定」「40ヤード走」「フットボール実技(防具は要りません)」の部分だけは何となくわかりました。あとは当日までやれる事を必死でやりまくるだけになりました。

仲間たちと年末の忘年会旅行には行きましたが、現地に到着して皆がリラックスしてお酒を飲み始めるのを横目に、僕だけ海岸線を10キロほどランニングし、持参したスピードトレーニング用の器具を空き地で広げいつもと同じだけの量を鍛錬しました。年末や正月も特に関係なくサンスターのグランドに行って走り込んだり、自分の中ではもうこれ以上頑張れない。と断言できるまでやり切りました。

テレビ観戦のいつかは出てみたい日本選手権(ライスボウル)が終わってスグの1月5日。トライアウト当日は朝から大雨。長居第2陸上競技場。とても寒いです。

NFLロゴマークの看板が町中にたくさん飾ってあり、大勢の観客、風船やらパレードやらの装飾、大パーティの中で行われるものと思い込んでいましたが大間違い。

「トライアウト会場」という手書きの黒板すら無い状態で、競技場には数名の受験者が集まっているだけでした。

しかし、河口マーサら立命館軍団は何と平井監督(当時)がNFLの試験官らとなにやら挨拶し、談笑しているではありませんか。聞けば事前に電話で会話が済んでいるとか。「え?それってどういうこっちゃ?」と思いながらも、その他のチームも、監督やコーチが帯同してきていました。サンスターからは誰も受験しないようで、当然コーチも正月休みでひとりぼっちなのは僕だけです。

雨の天然芝で計測する40ヤード走ですが、体重100キロの僕がなんとか受験者中で最速タイムを出し、無名のノーマーク「NAKAMURA」が試験官から注目されます。

そしてフットボールの実技テストに移行しますが、希望はランニングバックでしたが、レシーバーとしての受験しか用意されていませんでした。ワイドアウトからマンツーマンで守るディフェンスバックを振り切って縦のロングパス(日頃のフットボール練習では1度も経験したことがない)を捕ったりと、指示されるままあらゆるコースを走り、試されました。日本人クォーターバックが足らず、投げるコースやタイミングも悪いことがあったので、元NFLのクォーターバックだったワールドリーグコミッショナーがみずから投げてくださったりしました。元でもNFLの人が投げるボールの取り易さは、言葉では言い表すことが出来ません。投げるコース、タイミング、速度、ボールの回転、全てが素晴らしく、チームでは補欠の僕でも落球するはずがないボールばかりでした。

見学者も自由に入場出来、知った顔やサンスターの仲間も数名居たので少しリラックスできた事を思い出します。当時からふざけた性格ではありますが、さすがに人生を賭けた試験中ですので自分でも気付かないくらい緊張していたと思います。

そしてテストが進むにつれ、こんなに受験者少なかったかな?と思うほど僕の出番が連続で指示され、言われるがままに時間を過ごしました。アメリカ人のテストのやり方は、不合格と決めた人の機会を無くし、見たい人間だけを残す。という斬新なものでした。最後までそのようなシステムだったと全く気付かず必死でボールを追いかけました。

全てのテストが終了し、解散。控室で着替えをしていたら新聞やテレビの記者さんらが次から次へと取材に来てくださいます。濡れたウェアを着替えることができず、生まれて初めての「囲み取材」を数十分間受け続けました。

無名の僕の事をコミッショナーがとても褒めていたと。そしてフットボール担当の記者さんらも僕のことがどこの誰かわからず、多くの質問をしていただきました。フットボールを始めたきっかけ、子供のころは何をしていた?学校はどこか?家族構成は?出身地は?ポジションは?所属チームは?と、これまでに合格した人たちでは訊かれない事ばかりです。

そして翌日のスポーツ紙には、

「サンスター中村 子連れプロなるか」

「サンスターRB 40ヤード走首位 中村がアメフットプロに当確」

「雨の悪条件下で高い潜在能力アピール RB中村、一躍合格候補に浮上」

といった記事が各紙に写真付きで大きく掲載されているのです。

当時勤めていた会社の経営陣や上司にも喜んでもらい、家族やご近所さんも大騒ぎです。「あの子は大きくなったら絶対日本赤軍に入りやるで」と言われた僕も、スポーツの活躍で新聞に載ったのです。

写真の新聞記事にはその日の僕のウェアを見ることができますが、この格好には意味があります。僕は上半身が細く、下半身が太く出来ています。なのでシャツは少し大きめの物を着て大きく見せました。そして下半身はピッチピチのスパッツを、大腿の最も太い部分でカットし、より太く見えるように改造しました。足首が細く見えるようにソックスは下げ、シューズは幅の細い黒いものを履き、下腿の筋肉をしっかり見せるように工夫しました。作戦は見事に決まり、とある新聞記事には「ナカムラは下半身がしっかりしていてヨーロッパでも通用する身体だ」とコミッショナーの言葉が載っていました。

しかし。結果は落選。残念ながら1997年度のワールドリーグには参加することが出来ませんでした。

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