多聞コラム12sep2014_vol,57「ゴリゴリ多聞、自伝を語る21」ファイニーズの熊野さんと榎並さん

お前を日本一のRBにしたる

ある練習を終えた翌日、榎並コーチと熊野コーチが待つコーチ室に呼ばれました。「タモン、お前もしかしてオフェンスのブロックアサイメント知らんとプレーしてへんか?」という質問でした。もちろん僕はそんなの憶えていませんので「ハイ!知りません!ていうか興味も無いし憶えなくてはならないんだと今知りました!」と元気に答えます。

すると呆れ顔で「せやろ思たわ。アホかお前。お前を走らせる為にみんなが色々やっとんねん。作戦をちゃんと憶えろ!」と言う事でその場でホワイトボードを使って色々習いました。選手それぞれの細かい役割をここまでキッチリ決めてるんや!と日常のミーティングで薄々気付いていましたが、とてもビックリでした。

図があるという仮定で説明すると、僕がFBで真ん中のランプレイをします。左側のGDTをトラップブロックするその瞬間抜けて行く。しかし両コーチに指摘されたのはその後のコースです。Mをブロックする為にRTが行くからオマエはそれを知った上で右にコースを変えてその後は大好きな縦に思いっきり突っ込めと。いまならこんな事は思いっきり当然ですし、何ならこのMをどう動かして(騙して)味方のRTがブロックしやすくなり、尚且つ後ろのSSFSをどう処理するか?までキチンと整理して臨むのは当然です。今や小学生でも当然の事でしょう。

そこでお二人から頂いた言葉にこういうのがありました。「ええか、俺らがお前を絶対に日本一のランニングバックにしたる。だからしっかりやれよ!」です。

三武ペガサス入団のきっかけとなる日大OBの楢崎五郎さんに「一緒に日本一を目指そうよ」と声を掛けて頂き、シルバースターの野村さんにも「イチバンを目指せ!」と言って頂き、そして今度は関西学院で甲子園ボウルを湧かせた主力選手だったお二人が自分を日本一の選手にしてやる。と言って下さるのです。これはおそらく自分はこの超一流の人達からはホンマに日本一のランニングバックになれるかもしれない、という風に見えているのではないか?素質あるんちゃうかオレ?思ってた通りやん!よっしゃコレまで以上に色々めっちゃ頑張るで!!と元気づいたのは言う迄もありません。

このまま頑張ればサンスターも強豪だし日本一を狙えることは明確で、つい2年前も東京スーパーボウル(現ジャパンXボウル)に出場を果たしているわけで。

では自分自身何を頑張れば良いのか? とりあえずあまりにも落第点な「フットボールIQ」の向上ですね。サンスターで1シーズンを過ごしたとは言えミーティングに着いて行けているとは到底思えない理解度の低さは自分でもわかっていました。と言っても関学や京大、その他強豪校のOBらは元々の賢い脳みそがありながら、フットボールの複雑で難解な作戦や理屈を何年間も厳しい現場で習い経験して来ているので、到底かないっこありません。自分が彼らに勝っている事と言えば、パワー、スピード、ヤル気、フットボールが好きな年数、三武ペガサスの根性、だけです。でも、あれ?なんや結構勝ってるトコ多いやんか。じゃあフットボールIQは無視して、勝ってる所をもっと伸~ばそっ。となり、毎日のトレーニングの量を増やしました。

  • 会社が終わってスグに毎日フィットネスクラブへ行く
  • 昼休みにサンスターのグランドで走る
  • 夜のフィットネスクラブが終わったらサンスターグランドで走る
  • 会社の倉庫にウェイト器材を持ち込み空き時間にトレーニング
  • 出先や会社近くなどの公園の小さなスペースでスピード系のトレーニング
  • チーム練習の週に3度(木夜/土/日)は絶対に休まない
  • 会社の慰安旅行なども欠席し徹底的に体調管理
  • 食事の量や質、時間や回数も完全に管理する
  • 宴席にも行かず酒も殆ど飲まない

と、こう書くとストイックだなあと思ってしまいますが、運動家である以上、ましてや業界内でもまだ無名で認められていない身分で、普段の生活で楽しいことを求めていてどうする? 東京スーパーボウルで活躍するのが目標なのに遊んでいる場合ではありませんでしたし気持ちの余裕もありませんでした。そもそも給料が安く、生活費以外に使える余裕も無かった事も一生懸命頑張れた理由のひとつだったかもしれません。

しかし思いつく限りの事を全て全力でやりまくってもチーム内での評価アップには中々結びつかず、そして自分の中でのランニングバックとしての性能アップも体感出来ないもどかしい日々が続きます。そのため会社に行く時間が惜しく、常に何かしらのフットボールに繋がる努力がしたくてしたくてたまらない時期を過ごしました。

榎並コーチと熊野コーチの言葉を信じ、「俺はそのうち日本一や!」と勝手に大船に乗ったつもりの余裕も心のどこかに置きながら、努力を怠る勇気もなく、毎日を必死のパッチで生きていました。

結局1年目はいくつかのタッチダウンとわずかな獲得ヤードで1部リーグの歴史に名を刻む事に成功。しかし今調べてみるとエックスリーグの公式サイト内にある記録集は1997年以降しか無く、1995年の僕の記録は見る事が出来ません。

苦悩の成長期はまだしばらく続きます。

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