多聞コラム24july2014_vol,49「ゴリゴリ多聞、自伝を語る14」 グリーンベイ滞在中に次女誕生

 7月の24日と言いますと思い出すのが16年前、ウィスコンシン州でパッカーズのサマーキャンプに参加していた時です。29歳の僕に2人目の子供が産まれた日でもあります。「もしもし?コレホンマにアメリカかいな?産まれたで!また女のコや!何べんも電話したんやで!フヘヘヘへ!ホナ電話代高いから切るで!」と中村フミさん(タモンのママ/ゴリゴリのO型)から国際電話を受け、当時のヘッドコーチだったマイクホルムグレン夫妻や、クウォーターバックのブレットファーブ君、防衛大臣の故レジーホワイト氏ら、世界的に有名な人々からも祝福してもらいました。

ブレットファーブ君に至っては『それはメデタいやないか!俺のサインでよかったら何百枚でも書いたるで!グヘヘへ~!』と億万長者らしからぬ安上がりなプレゼントを提案してきたので「それは有り難い。今からランボーフィールドの売店(選手や関係者は3割引で買える上に、顔を見ただけで僕が選手だとわかっている売店の売り子も凄い?)でパッカーズグッヅを買って来るから頼むわ!」と言うや否やダッシュで買い物。ブレット君に「ホナ、コレ全部にサインヨロシク!」と100以上のグッヅを彼の前に。『ヒー!!ウソやん!マジでこんなようさん書かなアカンの?!でも約束したしな!書くわ!』言うて1時間ほどかけて必死で書いてくれました。

よだれかけ、上下ツナギになってるベビー服、チーズヘッド、Tシャツやスウェット、それはそれは何から何まで全部ぬ書いてくれました。でも結局はそういうのって毎日洗濯するのでサインが段々薄れてしまったんでちょっと勿体なかったですけどね。お古を近所の人らに譲る時も「有名な選手のサイン入りやねんで」と自慢したもんです。

パッカーズにとって、日本人との契約はもちろん初の事だったし、キャンプ中は話題も少ない事もあり、地元でもかなりの数のメディアに取材されました。スポーツニュースは勿論、スポーツ新聞にも連日大きな写真入りで取り上げられ、イチバン憶えているのが子供達に囲まれてサインしているシーンの写真入り記事が、モノ凄く大きな面積を占め、「ファンにサインするナカムラ」みたいな感じでしたが、コレがちょうどムスメの誕生日である7月24日だったのです。記念に残しておき日本に持ち帰って自慢しようと30冊ほど入手し、部屋の棚に丁寧に揃えて置いておきました。

翌日練習から戻るとあの新聞の束が置いた場所に無いのです。ルームメイトに聞いても「知らない」と言います。そうです。ルーム係がゴミやと思うて捨ててしまいよったんです。棚の上に何十部も綺麗に重ねて置いてある新聞をゴミやと思う思考回路にそもそもの問題が有りますが、こちとら一生の記念になるハズの物が消えてるのですから慌てます。

とりあえずゴミ収集所(キャンプ地となっていた大学構内全てのゴミが集められる巨大な施設)へ行き、ゴミの山をミーティングの集合時間ギリギリまでの2時間ほどを必死で捜索。冷房も扇風機も照明も無い悪臭完全密室で泣きながら汗だくになって捜しましたが見つからず。これを「アメリカはどうなってんねん!?」とチームのRB陣に訴え、翌日数名が1部ずつ部屋にあったのを持って来てくれました。なんで1部だけ部屋に置いてあったそいつらの新聞は片付けられずに残っていたのかはとても疑問ですがまあ仕方ありません。これをエミットスミス氏の実弟、エモリースミス君が「ミッシングニュースペイパー事件」と名付けてくれました。全然名付けて要らんけどね。

アメリカ中の憧れであり、男の誇りと人生を賭けた戦いの場所でオマエは何をやっとるんや!とお思いでしょうが、何故キャンプ開始直後から遊び半分観光丸出しな姿勢なのかはまたいずれお話しします。

あれから16年が経ち、僕がフットボールをしていた場所から1万5000キロ離れた所で産まれた赤ん坊が16歳になりました。子供が産まれると言うのに迷わずプレイフットボールを選んだ父もあれから16年経ち、選手も引退。怪我のせいで今では走る事すら出来なくなりました。君も何かに打ち込み、のめり込めるような事が見つかれば良いね。僕のようにのめり込み過ぎて人生の大切な事を引退してからようやく学ぶ。なんて事にはならないように注意しながらね。

トコ、16歳のお誕生日おめでとう! 2000キロ離れて暮らす父より

とは言うても結局は最新型のiPhone買わされましたけどね。

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