7月24日。ウィスコンシン州でのパッカーズキャンプ中に日本では次女が生まれ、母が必死の国際電話で報告してきてくれました。寮内の交換台を大阪弁で切り抜け僕の部屋にちゃんと電話は繋がりました。7月24日の日付のついた現地の新聞にたまたま僕が大きく載ったのでお土産にとたくさん取っておいたらルームクリーンの人に全て捨てられるという事件がありました。この詳細は2年前の7月にここのコラムで書いた通りです。
練習の前後に集まっているファンに対して「徹底的にサインし続ける」というポリシーは頑として守り、午前の練習を終えてサインし続け、昼ご飯も食べずにそのまま午後の練習に行くというような事もありました。その間だいたい4時間。スパイクも履いたままでアスファルトの駐車場で立ちっぱなしのサイン大会です。
ファンの熱意に対して残念ながらプレーではなくサービスでしか応えられない身分ですので僕の仕事は練習ではなくサインすることなのです。午後の練習に出てきた選手らは僕が早めに出てサインしているだけと思ったようですが、同室の河口マーサにだけはバレます。「休憩もせんとどんなけ好きやねん!」と突っ込まれました。
ある夜の時間、僕の部屋は3階。夜風が気持ちいのでベランダから周りを眺めていると寮の中庭で茂みに向かって「「ジョーーーー!!!!」っという音を鳴らして立ちションべんしている白人選手を見つけました。あの体型は恐らくブレットファーブです。上から日本語で「おい!立ちションすんな!」と叫ぶと慌てて顔を上げ僕を見つけ「エーがなエーがな!」と開き直っています。「なんでそこでやんねん!部屋の前やろ!」と突っ込むと「ちょー降りてこいよ!」と呼んでます。行くとおもむろに「なあ、練習めっちゃしんどいのにキャンプって給料安いやん。うっとうしいなー」と言いながら給与明細を僕に見せます。さっきもらったばっかりだったので僕もポケットに入れたままだったので2人で比べっこしました。
ブレットファーブの方が僕より早い時期からキャンプに参加していたので1週間分まるまるですから総額は多かったのですが、1日あたりが僕のようなホケツと同額だったのです。100ドルです1日。「お前と一緒かよー!!!マジでー!」と本人は大騒ぎでしたが、そんなことより世界的スーパースターと給与明細の見せ合いっこをしている僕の方が大騒ぎしたいワケです。とんでも無い事が次々に起こっています。本当に素晴らしい経験です。
どうしてもオフェンス同士ですしファーブばかりに話題が行ってしまいますがご存知の通り当時「防衛大臣」レジーホワイトもパッカーズ居ました。何かと僕を気にかけてくれ、わざわざ色々と話しかけてきてくれました。練習中やロッカールーム、ミーティング室、食堂、新人だから困ってる事があれば何でも聞いておいでやーという意味でした。優しいおっちゃんでした。おっちゃんに見えていましたがこの時彼は37歳。それほどおっちゃんでもないですね。残念ながらこの6年後に心臓発作で亡くなられたのです。
大部分がキリスト教のアメリカ人は試合前に必ず教会に行って礼拝します。遠征などで近くに教会がない場合はホテル内の宴会場などを使ってチーム用の礼拝堂に作り上げたりします。試合直前にロッカー内にある風呂場へ向かう黒人選手の群れがあったので「もしや!」と思いついて行ったら案の定「レジーホワイトが司会する礼拝と言うかお祈り」が始まったのです。神様に感謝し、お願いをしてアーメン。試合前レジーホワイトの礼拝で一緒に祈った唯一の日本人選手の称号、頂きました。
