そして色んな事情があって3シーズン過ごした関東を離れて出身地の大阪に戻る事にしました。
練習見学に寄せて頂いた古豪の名門「サンスターファイニーズ(現エレコム)」が入団を許可してくださったのです。当時のヘッドコーチだった京大OBの島貫さんは快く僕を迎えて下さいました。
多聞「はじめまして。本日は見学に来ました。宜しくお願いします」
島貫HC『ようこそファイニーズへ!是非頑張ってください』
多聞「(???もう入れてくれるという意味???と不思議に思い)はい、頑張ります!ただですね・・・もし入団して実力が足らず練習生だとしてもチームに残る事は出来ますか?」
島貫HC『え?でもそれじゃ試合に出られないよ?』
多聞「はい。勿論理解しています。実力が基準に満たなくても練習に通い続ける事は出来るのですね?」
島貫HC『うん。それは良いけど、そんな事言わずに頑張ってや!いやーこれで君の大学とも縁が繋がった!素晴しい!』
多聞「(シルバースターと全然ちゃうやん!)では入れて下さるのですか?今スグここで決定ですか?ありがとうございます!」
島貫HC『じゃあ、あそこで練習着だとかグッズ類をもらって持って帰って。次の練習は木曜の夜ね。来れる?遠慮なく練習に入れば良いから』
とトントン拍子に1部リーグのしかも強豪に入る事が出来たのです。
山の上にあるチーム専用の天然芝グランドはギリギリ二面分の広さを誇る素晴しい施設でした。見学に来て緊張する僕に終始話しかけて下さったオフェンスラインの平井さんのおかげでリラックスして見学出来た事を思い出します。
そして初練習に行きました。
皆さんが揃う前で「はじめまして。中村多聞と申します。26歳です。三武ペガサスから移籍してきました。頑張りますので宜しくお願いします!」と普通に自己紹介です。そうすると皆さんが『ポジションは?!』で、スグに「ランニングバックです!」と答えると殆どの人が失笑しています。こんな太ったランニングバックだと?ふざけんな。どうせド下手のチンチクリンやろが!という思いのこもった笑いです。
で、『じゃあ君は太ってるから引退した森口のユニフォーム着て。31番ね』
とあの「鬼だ悪魔だ森口だ」で関西リーグを制した京都大エースランナー森口選手(同い年やけど・・・)の番号を翌年からオレが着るの?!ウソ~~!!
この時はまだ5月。春の大会中でした。今から登録は出来ないので春は練習試合で頑張る事が目標です。
初めて関西学院と京都大学のOBと一緒にフットボールをする事になりました。まず三武ペガサスで使用されていた用語と全く違う所から悩まされます。右に3人のレシーバーが居るショットガン体型を「右ブイ」と教えられていましたが、ファイニーズでは(当然)「右スーパー」と言います。ブリッツの事を「チャージ」と習いましたがココでは「ファイヤー」や「ブリッツ」と言います。しかしこれほど初っ端から何もかもの呼び名が違う上に、初めて見る量のプレーブック。とてつもない分厚さです。三武ペガサスでは紙を殆ど使用せずに「何べん言ったらわかんだよ!」だけがプレーブックでしたので困惑します。英語と数字で暗号化されたプレーの呼び名に意図、守備の体型別に少しずつアジャストするルール。全てが初めての経験で、悩みに悩んでとうとう2週間で「ヘルペス」という病気が発症します。レベルが高過ぎる中で必死にフットボールで体力を使い、脳みそを使った事の無い方法で酷使したからだと医者に告げられました。恐るべし関学京大フットボールスキームです。
そして入団して1ヶ月後くらいで練習試合があると聞きます。何と相手はあのラインバッカー河口マーサやディフェンスバック近藤、クウォーターバック天才東野の居る立命館パンサーズです。震えます。これまで対戦したチームでは最強なのが入替戦で戦ったさくら銀行です。イッキにステップアップしてホンモノとの対戦です。
アメリカからやって来た(正確には帰って来たですが)考えられないほどマッチョでアグレッシブでミーンな河口選手。プレーが始まる直前に英語で何やら叫んでいます。プレーがバレているような気がしてとても怖かったです。ようやくコレほどの相手と対戦出来るようになって来たんだととても嬉しい気持ちでイッパイでした。相手にとって不足無しどころかコッチが不足だらけです。
ランニングバックとして少しの出場機会を得て3回ほどボールをキャリーしました。これは1995年の事ですが、最近になってあの時に対戦した立命館大学の方に僕の事を憶えてもらっていたのがとても嬉しかったです。少しは他人様の印象に残る走りが出来ていたんだなと思うと。。。まだまだ笑っちゃうぐらいド下手な102kgで26歳の中村多聞1部リーグ初出場でした。

