多聞コラム7apr2019_vol,225「ゴリゴリ多聞、自伝を語る80」NFLE2年目5

1999年3月15日

今日は僕の父(中村まさお)の52歳のお誕生日です。20年前のことを書いている今の僕(50歳)とほぼ同じ年齢ですね。とにかくパパおめでとう。

チーム内でのスクリメージが本格化。ボールキャリアーにはタックルではなくタッチではあるけれども奴らは腕力が強いのでとても痛いです。守備陣も生き残りがかかっていますのでとにかくコーチや周囲にアピールする為しっかりとプレーしています。ましてやアジア人のチビに走られまくるわけに行かないでしょうし。僕が持っているボールを叩いたりしに来ますがそれが腕に当ったりするとメチャクチャに痛いのです。

あるプレーで、エキサイトした守備選手に振り回して投げ飛ばされ、僕はゴロゴロゴローっと吹っ飛びました。「何やねんお前!アホか!」とその選手の背中にボールを投げつけて関西弁で叫びました。監督に呼ばれて「タモン。去年から言うてるやろ。KEEP POISE  や。熱うなるなドアホ!」と叱られました。でも消極的だった昨年に比べれば戦う気持ちと言うか姿勢を出せたので良しとします。

昨年から監督が何度も何度も選手らに言ってきたこの「KEEP POISE」。当時の僕は本当の意味をよくわかって居ませんでしたが、「落ち着け!」「冷静に!」みたいな感じのシチュエーションで監督が皆を諭していましたのでまあそんな感じかなと解釈していました。スポーツ関係者の話すガラの悪い口語ですのでスペルもわかりません。スペルがわからなければ辞書で調べることも出来ませんししていませんでした。

気合い入れろ!熱くやれ!という檄ばかりが飛び交う日本のフットボールとは正反対。このチームのコーチは、気合いが入りすぎたり熱くなりすぎる選手を抑える方が仕事の割合として多いのです。

もちろん試合で良くない状況に置かれた時は「元気出して自分の仕事をしっかりやろう!」と言う日本と共通の檄も飛びますが、昨年度のシーズンは勝ち越していた上に優勝した強いチームだったのであまりそのようなシーンに出くわさなかっただけで、もっと長いシーズンだったり成績が悪ければどんな感じになっていたのかには興味がありますが。

練習開始から4日が経って体の調子も抜群。日本のシーズンが終わってからの3ヶ月間しっかりと鍛えて調整してきた成果が出ています。とにかく人生で最高に早く走れていますし、フットボールと言うかランニングバックとしての動きも過去最高に感じています。ウエイトトレーニングでの挙上できる重さや回数の過去最高値が毎日のように更新されていきます。

そしてついこの間までNFLで戦ってきていたような本物相手に気持ちでも負けていません。全てのプレーで全力の集中力を発揮して技術面でも成長していくぞと気合い満タンです。

1999年3月16日

合宿5日目。そろそろ例の「スネいた(シンスプリント)」が発症してもおかしくない頃合いです。朝食の為にベッドから出て眠い目をこすりながら廊下を歩きます。エレベーターに乗るとその僕より不機嫌そうな守備ラインの巨大アフリカ系アメリカ人が僕に「Sup」と言われます。僕はそんなスラングを知りませんが挨拶には違いないので朝だし「グッモーニン」とNHK基礎英語で身につけた単語を元気よく発音。その後なんの会話も無いまま1階に到着チーン。黒いし大きすぎるしムスッとしてるし怖いネン。あとでわかりましたが昨日のスクリメージで僕がキレた相手選手でした。何が「オハヨー」じゃこのアジア人!と思っていたのでしょう。

で、スネいたですがいよいよ発症してきました。朝ごはんを食べていたら眠気も覚めてだんだんと痛いことを認知。触ってみるとかなりの痛みが出ています。一気に弱気になる僕ですが今年は友人の東洋医学習得者から対処法を学んできています。冷やす、休める、握り潰す。この3つです。合宿中ですので休めません。冷やすのはアイシングすれば良いだけの話。3つ目の握り潰すが厄介。

何やらシンスプリントのメカニズムは、スネの骨から膜か何かが剥がれているのでそれを手技で骨側に戻すと良い。その先生には昨年のこの同じアメリカ合宿で実際に治療してもらいましたし、やり方も覚えています。しかし大きな問題があります。治療時の手技がとにかく痛い。タオルを口に突っ込んで痛みに耐えると言う時間で身体中汗だくになります。痛すぎて痛すぎて。でもこの20分ほどを耐え忍べば明日の練習では痛い思いをせずに済む。と考えればどうにか前に進む気もしますがいずれの道も激痛が待っている厳しいスポーツの世界を堪能する30歳の前夜でした。

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