多聞コラム11mar2019_vol,221「ゴリゴリ多聞、自伝を語る76」NFLE2年目1

1998年12月7日

NFLヨーロッパ参戦を許される日本人選手発表記者会見の為に勤めていた会社を休んで東京に行きました。コミッショナーにキツく命じられた「昨年度の優勝リングを持ってこいよ」に従い、当時の日本人選手で唯一僕だけが持つこのリングを指にはめ、会見用に誂えたスーツを身に纏い颯爽と登場しました。

当日まで他の合格者のことは知らされていませんでした。まあ当然合格の河口正史氏(25歳)は3シーズン目。そしてルーキーで当時鹿島建設ディアーズの堀口靖氏(28歳)です。とっくの昔から超のつくスーパースター。立命館大では河口氏の少し先輩で、とにかくエゲツない走りを見せる大物RBです。そしてもうお一方はマイカルベアーズからQBの辻治人氏(東海大卒27歳)が選出されていました。こちらも昔から有名人。

堀口氏とは前年度の日本代表で一緒だったので面識はあり、辻氏は同じ関西エリアでライバルチーム同士でしたが、お互い名前を知っているだけで会話したのはこの時が初めてでした。彼らは初年度ではありますが僕なんかよりもずっと昔からトップリーグで戦ってこられている経験豊富な猛者です。鹿島建設とアサヒ飲料は先週の準決勝で敗退し、10日後に控えた社会人決勝戦には出られない同士で惨めに慰め合いました。ヨーロッパでの配属チームが正式に決定するのは3月の渡米前ですのでそれまでお互いにしっかり体の調整をして、万全の状態でキャンプに臨もうね!なんて話をしました。

プレーオフ敗退した僕たちアサヒ飲料はオフになり、タモンズバーもこの時期に開店。まだ会社には勤めていたので毎日がとても忙しくなりましたが、2年目のヨーロッパチャレンジで準備の仕方も昨年とは違ってただガムシャラにやるのでは無いやり方で約3ヶ月の準備期間を過ごしました。

この年のアメフト界はどんな年だったかを思い出して頂きやすいように説明をしますと、社会人チャンピオンシップ「東京スーパーボウル(は当時の名称で現在はジャパンエックスボウル)」はリクルートシーガルズがアサヒビールシルバースターを圧倒し二度目の優勝。学生王座決定戦の甲子園ボウルは平井監督率いる立命館大学が法政大学に逆転勝利。米国NFLスーパーボウルではデンバーブロンコスが2連覇しQBジョンエルウェイがMVP獲得。ルーキーのペイトンマニングはたったの3勝でシーズンを終えていた。

といった感じの年代です。懐かしいですねー。

僕は朝から会社に行き、昼休みの暖かい時間帯に(真冬ですので)公園やグランドでランメニューをこなし、午後も仕事して夜はジムでウエイトとカーディオのトレーニング。そして20時開店24時閉店のタモンズバーで勤務し終電で帰宅。この暮らしを50日ほどしたところで勤めていた会社を辞めることになり、時間的拘束から解放されバー経営が一気に良い方に向かいます。朝はゆっくり目に起き、日没までトレーニング。通勤用にスクーターを買ったので終電も気にせず商売に打ち込めます。年末ですしお客様は毎日たくさんお越しくださいました。

年が明け、だんだんとキャンプの時期が近づいてきました。昨年の失敗は「とにかくワケがわかっていなかった」ので、キャンプ初日からアクセル全開でバリバリやり過ぎました。あっという間に疲労が溜まり「シンスプリント」というスネが異様に痛くなる病気というかクセが出てしまいました。体重の軽い子供の頃から3日ほど連続で激しく走ると出てくる痛みで、痛みには鈍感で強い耐性を持っているはずの僕も泣いてしまうような痛みです。

コレを防ぐには今となってはネットで山ほど解決策が出てくるのですが当時はせいぜいアイシングして湿布を貼る程度でした。整骨院や鍼治療などは高額なので超のつく低所得者だった僕には叶わぬ夢でした。

3日の運動で足が折れているとしか思えないような痛みが24時間両足のスネに留まるのですから始末が悪い。そしてNFLヨーロッパの合宿はNFLと同じくなんと30日間も続きます。チームによってスケジュールはバラバラですが、大抵は午前午後の2部練が基本で、夕食後は消灯時間の23時ギリギリまでミーティングが続きます。まあどこのチームの合宿も同じようなものでしょうけど、30日はエグすぎます。休みは決められておらず、当日や前日に突然「明日練習休みで夜のミーティングには集まれ」なんてアナウンスされます。開放感で選手たちがハメを外すほどの遊びに行けない仕組みです。

とにかく30日間の合宿に対応できる体力とスネを養うため、どうすれば良いかなんてわかりません。必死にカキ集めたいくつかの少ない情報だけを頼りに自分の体で実験を繰り返して強さと速さを手に入れてきたので、この「スネいた」にもきっと勝てる体を作れるはずだ!と信じ込み、とにかく日本でたくさん走ってみました。すると3日目にはもちろん襲ってきました「スネいた」が。

でも安静にしていればあっという間に治ります。スポーツに向いていない体質なのかもしれませんが、こちとらプロにまでなってますので今更やめるわけにも行きません。痛みに向き合って我慢するしか無いですね。

そのためにも毎日体を動かし、フットボールの実戦練習をさせてもらう為に桃山学院大学のご好意で練習にひと月ほど混ぜて頂き、渡米の準備は着々と進みました。どうやらシューズにも原因があるような気がしてきました。NFLヨーロッパの練習は基本天然芝で行われます。なのでついついしっかり食い付くスパイクを使ってしまいたくなるのですが、今年はあえて人工芝用のスパイクを少し削って滑りやすくカスタムしました。そうする事によって転倒したりスリップしたりは増えますが、足への負担が軽くなるのでは!?という試みです。

そしていよいよ日本を離れる日が来ました。今年も昨年同様関西国際空港から河口正史氏と一緒に関空ドイツ1泊アメリカの地球逆回り旅行です。リーグのスポンサーだったルフトハンザ航空に日本アメリカの直行便が無く、仕方ない遠回りです。

今年の合宿地はディズニーワールドで有名なフロリダ州のオーランド。僕の所属チーム「ラインファイヤー」は中央フロリダ大学で営まれます。セントラルフロリダ大!と言えばこの年の(1999年)ドラフト1巡指名のダンテカルペッパーで有名ですね。僕も滞在中にメディアの取材を受けているところを見ましたが、とても大きな人でした。

次回からはフロリダでの合宿についてお話しできればと思います。

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