1998年11月1日。
秋リーグ最終戦は井内盛栄堂ブラックイーグルス(現アズワン)との対戦です。すでに前節の勝利でWEST優勝を決めているアサヒ飲料は先発QBを2軍選手にしてプレーオフに備えました。怪我のリスクを抑える事と、2軍の経験値を上げておくという目論見です。僕はこの日もスターティングメンバーになり、とても張り切っています。
と言うのも、ここまででエックスリーグのリーディングラッシャーに手が届く位置に居たからです。あともう少しだけヤードを稼げば確実に獲れそうです。そうなるとDiv1でのしっかりしたトロフィーを初めて手にするのです。まだ名の売れて居ないランニングバックにとって「リーディングラッシャー賞」は何が何でも手にしたいトロフィーです。日本の歌手なら「レコード大賞」、欧米の歌手なら「グラミー賞」と言った具合に絶対に一度は獲ってみたい物なのです。それがもう目の前にあるのです。嬉しがりで目立ちたがり、有名になりたい欲が強烈にある僕も当然欲しくてたまりません。
試合開始早々順調な滑り出しです。ボールを持てばサササーっとゲインします。「この調子だと100ヤード以上稼げる!頑張るデー!!リーディングラッシャーはもらったー!!」て感じです。今日はランニングバックは3人で交代出場です。1回ボールを持つと交代して次の出番を待ちます。僕は1Qのうちに短い距離のタッチダウンを取りました。そうこうしている内に藤田ヘッドコーチがサイドラインに戻って来てニヤニヤしている僕を呼びます。「おい!調子になるなよボケ!」と言うお叱りを受けちゃうに違いない。。。あーバツが悪いな。。。なんて考えていたら全然違いました。
「おいタモン!リーディングラッシャー欲しいんか!?」なんて聞いて来ます。何言ってんのこの人。京都大学出てるクセにアホなんか? 先ほども書いたように僕らにとっては「レコード大賞」であり「グラミー賞」なのです。欲しくないワケがありません。でもなぜそんな事を聞くのかとよく考えると「普段試合に出ていない選手を出す」「プレーオフに向けて1軍が怪我をしないように」なワケです。僕は怪我をする心配などありませんが、試合に出ていない選手を僕の欲だけでそのままベンチに座らせておく事は出来ません。で、藤田HCに僕はこう返事します。
「いえ要りません!」
「よしわかった!」
あー!!!!なんでー!!!ヒドい!!!要らんわけ無いやん!!
初めて藤田HCにウソをつきました。本当はあと数10ヤード稼いでから温存されたかったんです。で、結局ここから交代してしまいこの日は5回で32ヤード1TD。これがまだ第1Qの事です。試合が始まってまだ30分も経っていない時間のことでした。
ムズムズしたまま戦況を見つめるも前半で27−0と圧勝ムード。そして第3Qが始まるのですが後半はアサヒ飲料がリターンから。忘れていました。僕はキックオフリターナーなので試合に出ねばなりません。今日まだ1度もやっていないキックオフリターンチームですからいきなり2軍を出すというプランは出ていません。30分以上気を抜いて体も動かさずボヤーッとベンチに居た僕は危うく防具類も外してしまうところでした。
いつも通りフィールドの中央で円陣を組みリターンの作戦を決め各ポジションに散ります。そして何故か僕の方にボールが飛んで来ました。しかもエンドゾーンの少し手前まで。蹴りすぎやねん。なんて思いながらボールをキャッチした僕は一旦中央に向かうフリをして右に進路変更、一切の減速無しで敵と味方の間を駆け抜けます。すると前方に敵選手が全く居なくなってしまったのです。これはもしかして?!そうです。キックオフリターンタッチダウンのチャンスです!
公式戦に出場し始めてちょうど10年目のシーズン最終戦。初めてのリターンタッチダウンです!喜びまくってベンチに戻った僕は急に運動してびっくりしている心臓が破裂しそうで大変だったので隅っこで大の字に寝転んでいました。
そんな時に藤田HCが「おい!どないしてん!?」と怪我かと心配して叫んでいます。「いえ!どうもありません!」と跳ね起きたことは言うまでもありません。アンタが1Qで俺をヘッこまして急に動いたからしんどいだけじゃ!なんて言えるワケもありませんのでハアハア言いたい息を飲んでグッと耐え忍びました。
そんな感じで全勝優勝を決め、僕はエックスリーグ全体のリーディングラッシャーは逃しましたがWEST地区ではイチバンの記録となったので少しは満足でした。
さあ次はまだ決まっていませんが関東のチームも混じってくるプレーオフです。快進撃を続けたアサヒ飲料がどれだけ戦えるのか?NFLで成長した僕はどこまでやれるのか?ワクワクしますが不安もいっぱいです。そして私生活も一変するのでした。
つづく
