3月15日は僕のパパ、政雄さんのお誕生日です。ひとりっ子の僕がヘタレにならないよう、パパとは正反対の性格を持つドギツい母(フミさん)に躾と教育を委ね、最終的には心も体も強い息子になれました。ただ、いまだに人の痛みがわからず、思いやりの無い性格で周りの人に迷惑をかけて生きていますが僕ももうすぐ50歳だし気にせんときます。パパはひ孫の結婚式まで長生き頑張ってや。
さて、タモン物語に戻りますと1998年9月です。開幕戦のパナソニックに完封勝ちしたアサヒ飲料でしたが皆がそれほど大ハシャギするでも無く、普通の事として次戦に向けた用意が進んでいるように感じました。鳴り物入りで入部した僕ではありますが、まだまだアサヒ飲料に慣れておらず練習や試合を重ねています。
これは後になって意味の深さが理解出来たのですが、この時のアサヒ飲料の攻撃プレーは超のつく時代遅れなベーシックプレーに終始していました。攻撃のパターンや順序ではなく、用意している作戦がです。「ダイブ」「ブラスト」「パワー」「何かしらのオープンラン」「早いパス」「ミドルパス」「プレイパス(ランフェイクからのパス)」だけだったと言えるでしょう。
相手守備の隊形は試合中に何度も何度も変化するので、自分たちのやりたい事を相手に関係なく遂行できるように、単純な作戦を何度も繰り返し練習し続け精度をあげる。という取り組みです。藤田HCは「このチームはメンツがショボい」「俺らは弱すぎる」「こんなチームが勝てるわけない」という信念の中で、使える駒の全てを使い切ってどうにかこうにか勝てる方法を模索するやり方なのです。
チームにはホームランを打てる奴も居ないし、三振を取れる奴も居ない。ならばなんとかバットに当てて必死の走塁で前に進もう。常に相手の打ちづらい所に投げて打球は全員で飛びついて取ろう。劣勢になっても自分と仲間を信じて己のプレーを全力でやっとれ。スコアボードは俺がどうにかしたる。という情念がメガネの奥から飛び出していました。
俺のやりたいプレーはこれ。出来ない奴はアウト。という世界から来た僕にはとても衝撃的で「自分のやるべき仕事さえやっていれば勝たせてくれる」を春からずっと立証して来られているわけで、選手らはドンドン藤田HCにハマって行きます。
同じプレーを何度も繰り返し、メンバーを変えて繰り返し、守備の隊形を変えて繰り返し、作戦名に体が勝手に反応するくらいまで繰り返します。そしてアサヒ飲料名物の「ライブスクリメージ」です。「ライブ」というのは「フルタックル」の意味で、90年代以降に殆どの強豪チームではやらなくなった練習法です。理由はもちろん怪我のリスクを負うからです。それでも試合と同レベルの緊張感とスピードやパワーを数多く体験する事の重要性に賭けた手法です。しかしココでも選手からの反発などありません。そりゃあそうでしょう。自分たちが盲信する藤田HCが選んだ方法を自分たちが良し悪しを考える必要などない。自分たちはその「ライブ」で誰も怪我しないように全力で集中してプレーするだけだ。
「コレは本当に強くなるぞ。後は俺が一皮二皮剥ければマジでイケるで。。。」と僕も藤田HCの魔術か神通力か知りませんが、とにかくその魅力に吸い込まれていくのでした。若くて野心のあるチームで、気持ちを一つにグッと掴めばこれほど強い力を発揮するのだなと、中に居ながらも感動でほくそ笑む僕でした。
そして第2節はこれまた強豪の「マイカルベアーズ」ではありますが僕が入部する前の春シーズンに勝利している相手という事で皆の気負いもなく、パナソニックに勝ったという奢りもなく、ただ必死でプレーするという斬新なスタイル。前半を0-0で折り返し、なんとか10-0で勝利。僕もだんだんアサヒ飲料に慣れて来ました。