NFLヨーロッパ
1998年4月6日月曜日
土曜日にゲーム、日曜はミーティングとアクティブレスト。そして月曜日がオフ。流れがわかってきました。と言ってもまだweek1ですけどね。
土曜日にマーサ河口が「ヒマでヒマでしゃあないから遊んでくださいよー!」なんて言ってたので「オランダなんか隣やろ?オフになったら遊びに行くから待っといてー」と軽く約束したし今日はオフやしレンタカーでオランダに行くことにしました。地図で調べるとそんなに遠くありませんし、ドイツには何と言っても速度無制限の無料高速道路「オートバーン(Autobahn:アメリカ人と暮らしているのでアウトバーンとは敢えて言わない)」があります。折角なので最高速度が速いクルマをレンタルしたかったのですが、在庫がなく1400ccのフィアットプントでコーチを横に乗せて出発しました。5速全開でカッ飛ばしても160キロくらいしか出せません。しかも全開なのでエンジン音もうるさく、クルマの挙動もバタバタするのですぐに諦めて普通の速度でドライブです。そうするとドイツっぽかった景色がだんだん変わってきてオランダのイメージそのままな風車がチラホラ見えてくるようになりました。知らぬ間に国境を越えていたようで「ようこそオランダへ」みたいな看板は確認できませんでした。そして無事にマーサ河口に会って車だしお酒も飲めないのでコーヒーショップで買い物して美味しいエスプレッソを飲んで帰路につきました。でも思っていたより距離がある(たかだか片道250キロほど)し道にも迷いまくって時間もかかり、宿舎に着いたのは朝6時前でした。練習あるのにヤバすぎるって。まあでも楽しい休日でした。
1998年4月7日火曜日
殆ど寝る時間がなく、レンタカーで練習場に行き地理のわかる地元ドイツ人オーレ君(アトランタキャンプでルームメートだった風呂に入らない男)に案内してもらいレンタカーを返却。今日はホテルでの夕食ではなくチーム全員でステーキ屋でディナー。ぶ厚くてデッカいTボーンステーキ食べ放題で超満足。でも昨夜の徹夜で異常に眠いので帰ったら即寝でした。
1998年4月8日水曜日
いつも通りのスケジュールで、ミーティング、練習、トレーニングを終え夕食は待ちに待った「ハンバーガー&ホットドッグ」です。最高。めちゃくちゃたくさん食べて大満足の王様気分。そして今日は給料日。ドイツマルクでもらいました。
給料のシステムはアメリカでのキャンプとは違い、10週10ゲームという1シーズンでのギャラが決まっていて、そこに勝利ボーナスなどのインセンティブが追加されます。毎週貰わずにシーズン終了後に全額丸々もらっても良し、全額を週ごとに分割しても良し、全体の何割かだけを毎週もらって残りはシーズン終了後に貰う、などなど自分で指定した方法で受け取ることができます。また、10週終了後に決勝戦に出場すればギャラが当然もう1ゲーム分増えます。勝てばさらにいつもより配当の高い勝利ボーナスも貰えます。強いチームは人気が高く観客が多く入るので、事前に日本で聞いていた「1試合10万円を10試合で100万円」という見積もりは完璧に嘘だったのです。給料を少なく告知する求人というのも非常に珍しいですが、衣食住+交通費が全て別で与えられるので、当時の僕からすれば中々の高給でウホウホでした。日本では手取り13万円台で会社勤めしていたので、10週間で1万ドルプラスアルファは大きかったですね。当時は1ドル140円ほど。ウッシッシ。
1998年4月10日金曜日
week2はエゲレスはロンドンのブリストルで試合です。この年で無くなってしまったロンドンモナークス。翌年はこのロンドンの代わりにベルリンサンダーというチームが生まれました。旧東ドイツ地域が拠点だったので色んな問題があったのですがそれはまたの機会に。デュッセルドルフ空港からロンドンシティ空港への飛行時間はとても短く、1時間と少しでした。それよりも、飛行機を降りてからのバスが約3時間。こっちの方が倍疲れました。ウェンブリーなら近かったのに。残念。しかし旅の疲れなどモノともせずホテルに着くや否や市バスみたいなので繁華街に行き、散髪を試みようとしましたがどの店も予約で一杯。あまりにもおかしいので理由を聞いた所、今週の日曜がイースターなのでみんなが揃って散髪しまくってるらしいのです。まあそんな時に国外で商売しに来た自分らが悪いので諦め、ブリストルでの探検はおしまい。遠征のわずかな時間に周辺や街をウロチョロするのは結構楽しい。
そして明日はいよいよ初のアウェイでのゲーム。プロフェッショナルスポーツでは敵地での試合はやりにくいとよく耳にします。どんな洗礼を受けるのかワクワクドキドキです。前週のビビりまくりからは随分と解放され少し落ち着いてきました。
